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川西町長だより 令和元年8月15日 平和な世界を願い

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川西町長だよりを更新しました

 梅雨明け以降、厳しい暑さが続いていますが、台風8号が発生、さらに9号、10号が発生し次々と日本列島に近づくとともに猛暑も終える気がします。

 8月15日、74回目の終戦記念日を迎えました。日中戦争から始まる太平洋戦争は、8月6日の広島、9日の長崎の原爆による犠牲者を始め、多くの犠牲を払いポツダム宣言を受諾し終結しました。政府によれば日本人戦没者は、軍人軍属が約230万人、外地の一般邦人約30万人、国内の戦災死没者約50万人、合計310万人です。さらに外国人戦没者は、アメリカ軍が10万人、ソ連・イギリス・オランダ軍等約8万人、中国軍等が1千万人、朝鮮人等約20万人、フィリピン約111万人他多くの犠牲が出ました。ご退位された上皇上皇后両陛下が、平成の時代に国内外で戦没者の慰霊の巡行をされているお姿から、二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないとの思いが伝わってまいりました。

 町では毎年6月に、川西町戦没者追悼式を挙行し、酷寒の地や灼熱の地で祖国や家族の安寧を願い散華されました御霊のご冥福と不戦の誓いを新たにしています。しかし戦後75年目を迎え、大切な戦争の記憶を継承する事はますます困難になってまいりました。戦争の原因や責任論はさかんに論争されてきましたが、戦争の悲惨さや辛さを伝えることはどんどん薄れているように感じます。井上ひさし先生の名作『父と暮らせば』は想像力を働かせ原爆を理解しなければなりません。「戦後は終わった」世代の私は、戦争の事実を語ることはできません。

 今年新書大賞を受賞した吉田裕著『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』はたいへんショックでした。「軍隊の8割近くが戦争中虫歯に侵され、30キロの荷を背負い連日20キロの行軍で足の皮はずるむけ、化膿して歩けない、靴はボロボロになり物資が足りずサメの皮を代用した。」など兵士たちの目線での記録です。戦場での真実は、私が想像していた以上に凄惨でむごいものです。心から戦争は絶対してはならないと思います。


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